開発秘話

酔っぱらい 2010年12月6日

 ある寒い日、酔っぱらって帰宅し、リビングで寝てしまいました。明け方の厳しい冷え込みで目を覚まし、思わず紙袋に頭部を入れてみました。 

すこし息苦しかったものの、 寒さもしのげ、しだいに暖かくなってきました。それは頭部を保温しているだけで、手足まで暖かくなったような不思議な感覚でした。   

 

 私は、なんの疑問もなく製品開発を始めました。インターネットを使って似たような製品が販売されていないか、調べました。何度探しても、出てきません。世界のどこにもない。自分が思いつくようなことなのになぜ製品がないのかを考えました。

 頭にものを被って寝るという姿は真っ先に死者やお通夜の様子を連想させます。自らが進んでこのような格好になることが、あまりにも非常識であるからと推測しました。

 このことは製品をリリースしてからも普及を妨げる大きな要素でありつづけました。 

 

特許事務所 2010/12/14

数日後、特許事務所を訪ね、製品説明をしました。私は、その場でスケッチまで書いて、寝息で頭部をあたためる製品を作りたいと訴えました。弁理士の先生方も始めは「??????」という感じでした。 

 話を進めるうちに、先生方にもイメージが伝わったようで、とにかく類似品の出願があるのかないのか権利関係の調査してもらうことになりました。自分でインターネット検索で探した範囲では製品、商品はでてこなかったのですが。商品化されていなくても登録されている権利があるそうです。

 調査報告を聞いて驚きました「睡眠時に頭部を遮蔽するカバー」という出願はなんと125件もあるとのことでした。思わず聞きました「では製品化は無理なんでしょうか?」と。はっきりいって私はこのとき、意気消沈していたと思います。「自分が考えるくらいのことは誰もが思いつくものな」「やっぱり無理なのか・・・」

 でも先生の次のひと言で復活です。

 

 「できます」

 

「え?、で、で、できるのですか・・・」

「出願の詳細をよく見てください、この権利関係内容に抵触しない製品にすればいいのです」

「あのね」と私、「簡単に言ってくれますが、そんなこと無理ですよ」

「発明とはそういうものです、がんばってください」

 

「特許独特の書き方なので複雑に見えますが、要はこういうことです」

「携行性(軽くて持ち運びやすい)、デザイン性、のすぐれたものを開発してください、調査した出願は大仰で不細工なものが多いのです」

 

「先生、それを先に言ってくださいよ・・・・・・・でも可能性があるのならがんばります」

「がんばってください、次は試作品を見せてください」

 

特許事務所から出された膨大な調査資料にも目を通し、開発の方針も決めました。

 

1、通気性が良くて安全な素材

2、頭に被る抵抗感をなくすデザイン 

3、携行しやすい形状

 

これが開発目標です。

 

試作 2010/12/25/

 暮れも押し詰まった2010年クリスマスの翌日、異業種交流会でお世話になているアパレル関係の社長さんを尋ました。自分の体験から紙ではガサガサするし、息苦しいので素材は布にしようと考えたからです。製品の概要を説明すると、その社長さんは目をまんまるにして言いました。

 

「こんなもんを被って寝るやつはおらん!」

「ですから・・・あたたかいんです、」

 

「頭寒足熱や、頭は暖めへん」

 

「いや、とにかく・・・・試作をお願いします」

 

「・・・・・・・」 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 この社長さんは、総崩れになった大阪の繊維業界で、今も立派に会社を維持しておられるすぐれた経営者です。この人が駄目といったらこの製品は日の目を見ないと直感でわかりました。ここで、怯んでは絶対に駄目だと思い、しばらく無言のお願いを続けました。

まんまるだった両目を細めて、 「安眠は、ジャンルが違うので、販売は無理だけど、試作なら手伝わせてもらいます」といっていただきました。

 その後、昼食に誘っていただき、「クリスマスやからええやろ」と、ワインを飲みながら、自分の会社のブランドの話、繊維業界の商流やマージンなど、印刷業の経験しかない私に、いろいろとこれから必要となる知識を授けててくださいました。

 それからしばらくは、ちょうど寒くなってきたこともあり、何かに取り憑かれたように開発に没頭しました。夜も、昼もありませんでした。紙袋布製の袋はもちろん、ミカン箱や、カバンなどそこら中のモノを頭に被って寝ました。ゴミ箱を被って寝ているのを家内に発見されたのもこの頃です。

 

素材発見  2011/2/

 そんなとき、意外なところで決定的な素材に巡り会うことができたのです。以前から印刷資材で取引のあった、三菱製紙が主催する「デジタルイメージング研究会」に出席。サンプルとして配布された一枚のカレンダーに私は引き寄せられました。

 それは、かわいらしいネコの写真が印刷されたもので、一見して普通の紙ではありません。不織布という特殊な紙だと説明されました。恥ずかしながら、そんなものがあるとは知りませんでした。張りとコシがしっかりしていて、手触りも良く、簡単には破れない、しかも折り曲げても張りがあり、紙特有のガサガサ音がありません。その場で、口にあてて息をしてみましたが、なんと通気性も十分あります。

 これだ!と閃いた私は、もう、製品の形状に思いが馳せて、その後の研究会は上の空。そのカレンダーを折り曲げたり、透かしてみたりで時間を過ごしました。  

 大阪に帰るやいなや、その用紙を手に入れました。その日から、はさみとホチキスを持って部屋にこもりました。丸めて、切って、ホチキスで留めて、被る、ソファーに横になって被る、枕をして被る。当初は正方形に近い底があって、ドーム状の壁がまわりから立ち上がるものを想定していました。

大きさも今の製品より大きく、この素材を使っても形状が保てなくて苦労しました。

 この間には、より厚い素材と開発協力が得られないかと寝具関係を不織布を製造する工場を尋ねたこともありました。工場の責任者という方が出てこられ、「顔を覆う寝具など、そもそも安全性の問題から製造はできない」との厳しいご意見をいただきました。

 それでも、一旦火がついた情熱、開発への思いはやまず、それならば絶対に安全なものを開発すればいいのだ。なんとかなるのではないか。と考え直し、丸めて、切って、留めて、寝る、の日々が続きました。

 行き詰まったときは、知り合いを片っ端から訪ね、素材を見せて構想を話しました。ほとんどの人が本気で相手をしてくれませんでした。印刷会社の経営が苦しいのを知っている人たちは、最後にみな「がんばりや」といってくださいました。

 

大震災 2012/3/11

  その日の夕方、船に乗っているような揺れが異常なくらい長く続き、テレビをつけたら東北の大災害を目の当たりにしました。しばらくは呆然とテレビを見守るばかりでした。その後、原発事故の様子を知りこれはえらいことだと思いました。私自身でなにができるか考えました。そしてその年の5月に予定されていた印刷組合の記念行事を縮小し、義援金の拠出を支部長として提起しました。 

 災害にあった人たちの中で、埃の舞う避難所でのどを痛めたり、風邪がはやったり、また、体温の低下で亡くなることがあるとも聞き、避難所にマイドームがあればとの思いがよぎりました。

 しかし肝心の開発は一向に進んでいません。忙しさに取り紛れたこと、さらには形状のことで壁にぶち当たっていたこともあって、開発はなかなか進みませんでした。 焦る気持ちはあっても、よい考えが浮かばず、夏が過ぎ、秋の声を聞き始めるころまで進捗はありませんでした。

 

折り紙のように

 ところが、9月も終わろうとするある日の明け方、「折り紙」のイメージが夢うつつの私の脳裏に、突然浮かびました。「そうか、折り曲げることで強度が保たれる、折り目が支柱のかわりになるのだ!」と気づきました。

 四隅をプリーツ状に折り畳んだ不織布を縫い合わせ、ドーム型を保つというアイデアが生まれました。結果は、形はなんとか保てましたが、 大仰で折り畳むこともままならず、 見事なまでの失敗作でした、製品化しても材料費、加工賃ばかり高くつきことが容易に想像できました。なんとか、シンプルな形にならないものかと、パッケージ専門の会社に電話し相談にのってもらうことに。

 若い専務さんが応対してくださり、その方は私の話を真剣に聞いてくれました。そして、紙を折って強度をつける方法を何通りか教えていただきました。今の製品の折り方は、それをアレンジしたものです。

 その日から、切る、折る、ホッチキスで留める、が日課となりました。開発はもっぱら、社長室にこまってでやっていました。一人になれて、ソファーで横になれたのはここだけだったからです。というと立派な部屋に思われますが、6畳の洋室に小さな勉強机(弟が使ったもの)と子どもの頃から家にあったソファーが置いてあるだけ、しかも阪神淡路大震災の際に入った亀裂が原因で雨漏りさえするという質素な部屋です。このころ、試作品を評価してくれたのはもっぱら弟(専務)でした。試行錯誤は続き、製造コストの問題、材料費、加工費をいかにして押さえるか、といったことも考るようになりました。コストがかかり過ぎる案はこの時点で消えていきました。

  この頃、会長室は常に不織布の残骸が散乱している状態でした。とにかく何か思いついたら部屋にこもってごそごそし、形になったら弟に見せる。という日々でした。

 印刷現場の技術指導に来てくれていた先生は、この開発をあたたかく見守っていただいた方のひとりです。例によって行き詰まった私が、気晴らしに工場ま降りていくと必ず声をかけてくれ、サンプルを見てもらいました。今でも貴重なアドバイスだと感謝しているのが、「社長、こういうものはシンプルな形が一番です、もっと単純なものにしないと」というひと言でした。

 この頃は「一方向に開口部のあるピラミッド型をいかに少ない材料で作るか」ということがテーマだったので、まさにこのひと言が開発を後押ししてくれました。

 

試作完成 2011/11

 そんなこんなで、何とかほぼ現在の形に近い試作品ができました。次は理想的な大きさです。大きさは人体の標準データをもとに試作して、実際に使用した時の感覚、そして材料費とのバランスを考慮して決めました。

 ここで材料について触れておきます。マイドームに使おうとしている不織布はもともと高級カレンダー用紙などの印刷用紙で、え、っと言うぐらい高い素材なのです。この素材が価格に見合うぐらいの優れたものであることは、もっと後になって製品が世の中に広まっていき、ユーザーの方々の感想を収集するうちに明らかになってきたことです。このことは後にあらためて触れさせていただきます。

 話を戻します。

 サンプルは使用感を確かめるため、3通りの大きさでつくることにしました。形状見本なのでデザインはなし、真っ白です。この素材は熱圧着ができないので、縫製が必要となりました。迷うことなく、一番始めに相談した、アパレル会社の社長さんにお願いしました。めんどくさいな、といいながらも糸の色や縫い方などアドバイスをいただきました。

「頭はけっこう重いんで、縫製はロックミシンで、糸もきれいに見えるように・・・」

 

 二週間後、待ちに待った試作品が届きました。大中小の3種類、大きい方からレインボー、紺色、グレーの糸でかがられた試作品は、袋の一端だけを、三角形に折り込んで底を作り、もう一端は折り込まずにピラミッドの頂点になるように工夫したものです。

 さあ、その日から、昼は、完成した真っ白な試作品を鞄にいれて、人に見せて回り、夜は被って寝る、折り方を変えて寝る、大きさの違う3種類をとっかえひっかえ寝る、という日々が始まり、弟や家内、母にも渡してモニターを頼みました。

  さて、その反響はというと。

 ほとんど冷ややかな目で見られました。

 まず、周囲の人たちは必ず、「これを頭に被るんですか???????・・・・・・」「窒息して死んでしまう」「お通夜で使うやつですか・・・」

 

 おおむねこんな感じでした。

 

半信半疑!

 我が社は、同族の小さな会社ですが、身内を交えた役員会議でさえ、権利関係の調査費用、今後の出願費用の話は、「とりあえず、社長のポケットマネーでやってください」とにべもなく否決されました。後日、ある会社の役員さんに、このエピソードを話したところ「おそらく我が社でも同じ結論ですよ、小規模ながら役員会が社長のイエスマンにならず、まともに機能している証拠と思いなさい、とへんな慰められ方をしました。 

 製品に対する反応も微妙なものがあり、弟は開発には協力的ですが、自分では使っていないし、家内も母もなかなか使ってくれません。それでもめげずにいたのは、ごく少数ですが「発想はいいと思う、もう少し丸みを丸みのある形にして、かわいいデザインにすれば見栄えも変わるはず」と、前向きな意見も聞かれたからです。

 白無地の原案を試用することで、製品の大きさが決まり、実際に使ってみることで、使用感もわかりました。あとは、角をすこし丸めること、表面に魅力的なデザインをすれば製品化です。デザイン案は「起こさないで!のメッセージを入れる奇抜なもの」「人や動物の顔」など色んなアイデアがでますが最初はオーソドックスなものにしなければなりません。

 

誕生!2011/12

 最終的なデザインは案は3種類に絞りました。「星座が透けて見える濃紫」「砂丘のウエーブをイメージしたもの」「木の葉模様をあしらったもの」いずれも頂上付近に少しだけ丸みをつけてみました。このうち、サンプル制作は星座とウエーブにさらに絞り、ウエーブをオレンジ色とグリーンの2色に決定しました。表面に印刷をした初めてのマイドームは、暮れも押し詰まった12月27日に完成し、社員にお披露目しました。 私は本気でしたが、 半数くらいは「社長の道楽」と思っているように感じました。無理もありません、頭にドームを被って寝るなどどいう睡眠のスタイルはどこにもないからです。

 「印刷屋の社長がおもしろがって作ってしまった変なもの」の域をでていません。

 

マーケット 2011/12/27

 その日の夜、あらかじめ約束していたM先生を訪ねました。先生は日本印刷技術協会・西部支社で長年にわたり市場開発研究会をMDL例会という名称でつづけてこられた方で、私もその会員の一人でした。駅前の居酒屋、差し向かいで教わったことは次の4つでした。

 

1 マーケットの中心(なければ困る人)をターゲットにせよ、周辺はあとからついてくるもの。

2 値付けはメーカーの仕事、決して販社に委ねてはならない。

3 中途半端な気持ちでやるな、全力で取り組め。

4 普及すれば価格は下がるもの

 

 この製品の訴求ポイントは実用性すなわち保温保湿機能であると、私自身が納得しました。そしてその機能が必要な状況、人(たとえば飛行機)にアピールすることです。あとは価格を決め、全力で販路をつくることです。受注産業である印刷会社にとっては、販路開拓が最も大変であると、この時覚悟しました。

 

リリースに向けて

 製品のリリースに向けて、しなければならないことは山のようにあります。ざっと書き出しただけで、

 

1 製品名の決定

2 製品モニターを依頼、 製品へのフィードバック情報の収集

3 知的財産権の確立

4 製造ライン、協力先の選定

5 販売方法、販売先の決定

6 価格の決定

7 安全性の確認

8 告知方法、媒体の選定

9 包装形態、包装材の決定

10 使用説明書の作成

11 製品ホームページの立ち上げ

12 製品フェイスブックページの立ち上げ

 

 これらをリストアップし、プロモーション方法を検討していくうちに、あることに気づきました。印刷会社であるにもかかわらず、私自身の頭の中には、パンフレット、カタログの作成という発想がなかったことです。インターネットの無い時代であれば当然、真っ先にカタログ、チラシを制作するのでしょうが、今は違います。

 皮肉にも自ら新製品を開発し、プロモーションについて考えることで、あらためて印刷需要の先細りを実感することとなりました。付け加えるならば、印刷物としては包装材は必須であるということも実感することができました。

 

命名マイドーム

 製品名をどうやって決めたかをお話しておきます。あらかじめ候補として思っていたのは、

「快眠ドーム」「安眠ドーム」だったのですが、特許事務所で先生方と製品の機能を話しているときに、

「自分だけのプライベート空間」というフレーズが生まれました。ならば、いっそ「マイドーム」でどうか、ということになりました。

 大阪には商工会議所に併設される「マイドーム大阪」とう有名なイベント会場があります。これは商標としてまずいのでは、と思いきや調査によると向こうは建造物、施設、こちらは製品名なのでOKとのこと。早速その場で登録申請をお願いしました。

 弁理士の先生は「まいど、を生む、これは大阪らしくていいではないですか、それに海外の人にもわかり安いネーミングです。これでいきましょう」と太鼓判をいただきました。

 

モニターの声

  あらゆる人脈を使って、製品モニターをお願いしました。300個以上はサンプルとして撒きました、ただし、まだ知的財産権も確立しておらず、信用のおける相手に限りました。当初、モニターの反応はどちらかというと悪く、継続的に使っていただいた方は少数でした。最初のモニターは20代30代女性が中心だったので、反応がいまひとつだったのです。

 後にモニターの年齢層が上がるにつれ、30%以上の方々から良い反応をいただくようになりました。

 

冷たい反応!

 製品モニターのアンケートに「マイドームの保湿機能は、美容にも役立つ」という女性の声がありましたので、人脈をたどり、大阪に本社のある化粧品会社数社にサンプルをお見せしました。 

 結果は「面白い製品ですね・・・・・・・・・・」で終わり。保湿化粧品は化粧品メーカーのドル箱でありますから、「これは私たちと競合するものですね」とはっきり言われたこともありました。 

 これもマーケティングの勉強と思い、お礼をのべて退散しました。マイドームを併用することで保湿効果が倍増するはず、と考えたのですが・・・・

 このように「当たってくだけろ」の精神で販路はひとつひとつ切り開いていくしかないと、このとき思いました。

「仮設を立てて、実証する」この繰り返しです。 

 

理解者があらわれる

 その頃の私は、どこへ行くにもマイドームのサンプルを持き、誰彼かまわず会う人たちに手渡しをし、使ってもらって感想をお聞きするということを続けていました。例えば、近所で行きつけの喫茶店にもサンプル配布をお願いしていました。ある日突然、近所にある制作会社の社長さんから電話をいただきました。大手広告代理店経由で、有名企業のあらゆる媒体の広告デザイン手がけておられる会社です。

 

「マイドームとかいうやつの件でちょっと話がしたい」

町内会の総会にも毎年出ていらっしゃり、すでに顔見知りの方なので

「ほな、これから行きますわ・・」

と気軽に歩いて2分でその方の社長室に着きました。

 

 要は「大変ユニークで可能性のある製品だけど、あのデザインでは駄目だ、ウチの女性スタッフ数名で開発させたい」ということでした。デザイン費も売れてからでいいという太っ腹な申し出を受けました。 女性向けのデザイン、マイドーム・レディスが誕生したのはこの申し出があったからです。

マイドーム・レディスは人気商品となり今でも売れています。

 

リリースに向けて

  マイドームは頭部を覆うカバーということで、面白がってはもらえるものの、積極的に売ってやろうという人はなかなか現れません。考えてみれば、印刷屋のおっさんが思いついて道楽で製品化したものを本気で販売する人はいない。世の中そんなに甘くないぞ。ということです。

 販路開拓もままならないのなら、いっそのこと自社でWEBサイトを立ち上げて販売しようということになりました。新製品のリリースは知的財産権が確立してからと考えていました。実用新案、商標、意匠などの諸登録は2012年中にすべてできる予定でしたので、リリースは1月29日と決めました。種類はベーシックタイプ(写真左側)が2種類、レディスタイプ(右側)が2種類の計4種類としました。 

 

リリース 2013/1/29 と初販売 2013/1//30

   入念に準備したプレスリリースを発信したのが、1月29日でした。奇妙な形と印刷会社が畑違いの安眠グッズを開発、おもしろいエピソードもある。ということですぐに反応があり、工業新聞などに掲載していただき、その後TVやラジオのローカル番組でも扱っていただきました。ホームページに初めての注文が入った日のことはいまだに忘れられません。

 1月30日のことでした。自分の考えた製品を見ず知らずの方が買ってくれた。思わず、社員達と万歳をしたことを思い出します。

 

三菱製紙が事業化

 三菱製紙株式会社とは印刷感材を長年使っており、マイドームの素材を作っている会社でもあります。ですから、プレスリリースと同時に製品サンプルを送付していました。ある日、東京の三菱製紙本社から「この原材料は、弊社の不織布ですか?」とのお問合せがありました。

 

「そうです」

「それを証明する書類はありますか、弊社製品名の入った原材料受取書でもいいのですが」

「では販社からの伝票をFAXでを送ります」

 と、面倒な確認がありました。

すぐに事業化のお話ということで、東京から2名、それなりの役職の方が来られました。三菱製紙でもこの不織布をつかった製品開発を行ってきたが、まさかこのような使い方があったとは・・・と感心していただきました。周囲では「権利だけ取られるかも」「気をつけないといいようにされるぞ」

など、否定的な意見もありましたが、お会いしてみるとそんな心配は無用でした。

 

2013年6月1日覚書締結

  結果として、弊社のような小さな会社が、一流企業と開発、製造、販売に関して同等の覚書を交わすことができるという、夢のようなことになりました。(2013年6月1日付)  このときに、使命感と事業理念を共有するためにマイドーム憲章を標榜することになり、三菱製紙担当者数名と弊社スタッフも交えて、文面を一緒に起草しました。  

 そして三菱製紙主導で製品のブラッシュアップが始まりました。 三菱製紙ブランドの製品になるということは、製造者責任はメーカーである三菱製紙が負うことになります。製品安全性の確認、環境調達の評価、期待される機能の実証など、沢山の書類がやりとりされ、マイドームが製品としてどんどんブラッシュアップしていきました。  

 同時に、三菱製紙製品としての新商品を10月1日にリリースすることが決まりの企画会議も弊社で、あるいは東京で回を重ねていきました。


開発者の思いに、素材メーカーである三菱製紙株式会社さまが共鳴し、事業化に協力していただくことになりました。その際に、事業理念として定めたのが、マイドーム憲章です。

 

 

 

マイドーム憲章

マイドームは、新たに人類に与えられたやすらぎであり、この新しい睡眠スタイルを普及させることは私たちの使命である

 

2013.6.1

 

株式会社二口印刷/三菱製紙株式会社が採択